「ネイティブ」になるために努力を続けた私が行き着いた場所とは

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皆さん、こんにちは!ランサムはなです。

私のブログのイラストを制作してくださったYukiさんのブログの過去記事を読んでいたら、「語学学習で目標にしてはいけないことー「ネイティブを目指すこと」」という面白い投稿がありました。

記事によるとYukiさんは、英語を勉強していて、

「自分の英語をできる限りネイティブに近づけたい」「”日本人英語”にならないように気をつけたい」という思いが当然のようにありました。」

と言うことです。

その気持ち、とてもよくわかります。

私も同じでした。

でもYukiさんは、鈴木孝夫氏の『あなたは英語で戦えますか: 国際英語とは自分英語である』という本を読んで、

”ほとんどの学習者にとって外国語をネイティブレベルで習得するということは、生涯かけて取り組んでもなかなか到達しえない非常に難しいことだということ。

にも関わらず「ネイティブレベル」を(無意識にせよ、意識的にせよ)目標としてしまうと、遠すぎて高すぎる目標のために「一生幸福になれない”

・・・ということを理解。その結果、

↓↓↓

”そのような考え方で語学学習に取り組むことは、プロの通訳者のような職業を目指す人ならばいざ知らず、自分のようなせいぜい中級レベルの学習者にとってはむしろ上達の足かせになるということに気づきました。”

と書いています。

私はこれを読んで、若いうちにこのことに気づいたYukiさんはとても頭の良い女性だと思いました。

なぜなら私はなにを隠そう、「ネイティブになる」というとてつもなく大きな志を抱いて英語を勉強し、実際に「ネイティブ」になろうとしてみた過去を持つからです。

今日は、ネイティブになろうとした結果、どんなことが起きたか、その顛末をお話しします。

「にわか(偽?)アメリカ人」になってみたら

実を言うと、私は若い頃、自分が嫌いでたまりませんでした(もうウン10年も前の、未熟だった頃の話です)。

日本人であるというルーツも含め、何もかもが嫌で、外国人として生まれ変わりたいと切望していました。

英会話学校に通っていたときに、先生に「クリスティ」という英語名をもらい、自分の本名は「アメリカ人のクリスティ」なんだと妄想して10代を過ごしました。

それほどまでに心の底から「ネイティブ」になることを夢見ていたのです。

私はネイティブのアメリカ人になりたくて、コロッケさんのように、表情筋を目一杯使ってアメリカ人の発音を真似しました。

留学期間中は自分で「日本語禁止令」を出し、英語にどっぷり浸りきり、アメリカ人になろうと心がけました。

(自分が思うところの)アメリカ人のように食べ、アメリカ人のように笑い、アメリカ人のように振る舞いました。

多少不自然に感じることがあっても、「『型』から入れば気持ちがついてくるだろう」と思い、アメリカ人を真似てみようとしていたのです。

「アメリカ人」というOSで自分を上書きしようとしていたのです。

一年間日本語を話さず、日本人のいるところへは行かず、日本食もほとんど食べずに頑張りました。

・・・そんなわけで、必死で頑張った結果、私の英語はかなり上達し、「電話で聞いているだけでは外国人とわからない」「南部なまりもマスターしたカウガール」と言われるレベルになりました。

しぐさもアメリカ的になり、私は「念願のアメリカ人になった」・・・と、自分では思いました。

ところが、想定外のことが起こりました。

いくら自分の英語が上達して、アメリカ人みたいになったと自分では思っているのに、他のネイティブが集まる場所へ行くと、異口同音に「日本の話を聞かせて」と言われる。

「英語がしゃべれるんでしょ?じゃあ日本の話を聞かせて」

(アメリカ人になりたくてはるばるここまで来たのに、なんで日本の話をしないといけないの?)

私は怒り心頭でした。

別の話をしようよ・・・

・・・でも、話題を変えて別の話をしても、話が噛み合わないことがわかってきました。

子供の頃見たテレビ番組も、人気アイドルも、給食のメニューも違う。

英語で意思疎通ができるようになったからと言って、長年の経験の違いは埋められない。自分のルーツは、そう簡単に「上書き」できるものではない。

一年やそこらで「にわかアメリカ人」になるなんて無理だ。

・・・そのことがようやくわかってきました。

もう1つ落とし穴だったのは、「アメリカ人」に対する私のイメージが、実際のアメリカ人とはかけ離れたものだったことです。

私はなんとなく、「アメリカ人」というと、ブロンドの白人をイメージしていましたが、

実際の「アメリカ人」というのは、白人であり黒人でありヒスパニック系でありアジア系であり中東系であり各種混合人種の総称でした。

つまり、アメリカ人は外見で判断できない国民であり、私がイメージする「アメリカ人」は実在しなかったのです。

そしてもう1つ気づかされた、とても大切なこと。

それは「私はアメリカ人になることは求められていない」ということでした。

アメリカの話を聞きたければ、アメリカで生まれ育った人に聞けばいい。

「わざわざビザを支給して滞在許可を与えているのだから、日本人には、アメリカ人には真似のできない何か別のことをしてもらいたい。」とアメリカ政府は考えているのです。

パックンやロバート・キャンベル教授など、長年日本に住んでいるアメリカ人が、いくら日本語を流暢に話しても、「アメリカ代表」として意見を求められ、日本人になることを求められていないのと同じです。

つまり、「アメリカ人になろうとすればするほど、日本人/日本代表として発言することを求められる」という逆転現象が起きるのです。

もともとネイティブスピーカーになることなど期待されていないのですから、発音に多少アクセントが残ってもいいのです。場合によっては、それは個性になり、むしろ少々日本人英語であるぐらいの方が本物感を出せる場合もあるのです。

もちろんだからと言って、発音の練習を完全に放棄してしまうことはお勧めしません。それなりに、相手が聞き取りやすいように努力は続けるべきですが、ネイティブなみの発音ができないことに、必要以上に引け目を感じることはないということです。

そういうことを考えると、「遠すぎて高すぎる目標」を目指すことは不可能ではありませんが、難しすぎるから「諦める」という考え方よりも、英語の発音もひっくるめて「日本人であること」を大切にすることの方が、トータルパッケージとしてずっと価値があるように思います。

・・・私は最近では、若い頃とは逆に、あえて日本人らしく見えるように気を使っています。

なぜなら翻訳業界に関する限り、ネイティブの日本人であるということは「ブランド」であり、海外のお客様に対して付加価値を提供することになるからです。

私はこの結論に至るまでに、ずいぶん長い遠回りをしてしまいました。

(なんであんなに必死に、自分以外の何かになろうとしていたんだろう・・・って思うこともありますが・・・汗。)

皆さんには、私みたいな回り道をせずに、「オンリーワン」の日本人として、気おくれすることなく堂々と話をしていただきたいと思います。

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