サウスウェスト航空は、1967年創業となっているが、創業認可を取得した直後に、コンチネンタル航空、ブラニフ航空、トランステキサス航空の3社に認可の差し止めを求める訴えを起こされている。紆余曲折を経て裁判には勝つが、ようやく運航にこぎつけたのは4年後の1971年。運営のために用意した資金は、裁判の費用に消えてしまっていた。
運航前から潰されかけ、運航開始時には、資金が底を尽いている・・・。
そんな逆境での滑り出し・・・
もうダメだと諦める人も多かったようだ。
しかし、これが逆に共同創業者たちの負けず魂に火をつけた。
絶対にこの会社を死なせてはならない・・・
そこからサウスウェスト航空は、生き残りのためにありとあらゆる奇策を打ち出して行く。
お金がないから、大企業との競争に勝ち抜くためには頭を使うしかなかったのだ。
発券機は高額なので導入せず、レシートをチケット代わりにして、赤ペンで「チケット」と書く。
地上待機時間が長くなると採算が上がらないので、15分の乗継時間で次の目的地へと飛び立って行く。
機内食なども積み込みなどで地上待機時間が長くなるのでナシ。
機内食用のコンテナの置き場所をなくして、座席数を増やした。
飛行機の機種も、いろいろな種類があると研修や整備が大変なので、全機をボーイング737に統一。
整備のために飛行機を空っぽで飛ばすよりは、料金を安くして乗客を乗せた方が、という発想から、ピーク時とオフピーク時の料金設定を打ち出したのも、サウスウェストが最初だった。
ところが、ようやく経営が軌道に乗りかけた頃、創業時に妨害しようとした一社のブラニフ航空が殴り込みをかけてくる。サウスウェスト航空が主要路線としていた路線に参入し、サウスウェストの格安運賃と同じ金額の運賃を提示して、対抗してきたのだ。
ブラニフ航空にとっては数あるルートの1つにすぎないが、サウスウェストにとってこの競争に負けることは死を意味するものだった。
またもや崖っぷちに立たされたサウスウェスト・・・
しかし、そんなことで簡単に打ち負かされるサウスウェストではなかった。
何と、サウスウェストは、格安運賃ではなく、正規料金(格安運賃の2倍)を払ってくれたお客に、フルボトルのウィスキーかウォッカ(飲めない人にはアイスバケット)をプレゼントする、というキャンペーンを展開したのだ。「そんなみみっちい価格で撃ち落とされたりするもんか」という、捨て台詞のような広告まで掲載して・・・。
(ここまで来ると、ほとんどゲリラ戦だ・・・。)
チビマリオがクッパの攻撃を受けて立つような勝算のない勝負にも思えたが、何とサウスウェストはこの戦いに勝った。
自腹を切る必要のないビジネス客は、こぞって正規料金で切符を買い、フルボトルを持ち帰ったという。正規料金の切符が飛ぶように売れた。会社の経理が気付いて、安い切符を買うようにと言ってきたときには、すでにキャンペーンは終わっていたそうだ。
こんな具合に、サウスウェストは知恵を絞って度重なる危機を乗り越えていった。
サウスウェストの機敏な対応は、日常業務でも発揮された。
10分ターン(15分の乗継時間)で急いで飛び立っても、事故を起こしたり定時運行が疎かになっては元も子もないので、とにかく定時出発を徹底させた。必要であれば、手が空いているパイロットや客室乗務員も荷物の積み込みを手伝う。濃霧や雪などで、来るはずの便が来ないようなときは、上司に確認せずに乗務員の一存で運航便を入れ替えるなど臨機応変な対応で、遅れをなくした。
しかし、こうなると社員全員が相当優秀で協力的でなければ会社は回っていかないと思うが、資金の少ないサウスウェストに高給を約束して優秀な社員を引き抜いてくるゆとりはないはず・・・。
実はサウスウェスト航空は、人材採用にも独自の基準を使用していた。
長くなってきたので、続きはまた明日。