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異文化とスーパー温泉の共通点

皆様、ここ2回ほど、米国で交通違反切符を切られた私のお悩み相談におつきあいくださいまして、誠にありがとうございます。
あれから在米の読者の方々から、ご自身またはお知り合いの体験談など、貴重な情報をお寄せいただき、また日本在住の読者の方々からも、応援と共感のコメントをいただきまして、本当に励みになっております。どうもありがとうございます。
とりあえず、週明けに連絡を取って、また進展がありましたらお伝えしたいと思いますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
では、本日のトピックに移りたいと思います。
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先日から、ツイッターを通じてお友達になった方たちと、いろいろおしゃべりをさせていただいております。
ブログを読んだ感想を寄せてくださったり、意見交換をしたり、2つ(またはそれ以上)の文化の間を行ったり来たりしている(またはしたことがある)者同士ということで、おしゃべりがはずんでいるのですが、先日、ある在米翻訳者の方とお話しをしていて、逆カルチャーショックの話題が出ましてね。
いろいろ話しているうちに、私なんか、今でこそ日本が大好きですけれど、若い頃はかなりアメリカにかぶれていた時期があったなあ、ということを思い出しました。
日本に帰国した当初は、そんなかぶれた状態で富良野市での田舎暮らしを始めたものですから、適応するのに結構苦労したんですよね。
一例を挙げると、日本に帰国した当初にショックだったのが、「奥さん」と呼ばれることでね。
ほら、スーパーに買物に行ったりすると、「奥さん、今日はこの魚が安いよ」とか声をかけられるじゃないですか?
あれが、ものすごいショックでねぇ。
英語圏で暮らしていて、「ハンナ」とか名前で呼ばれることに慣れていたものだから、「奥さん」なんて言われると、「私は『奥さん』になるために生まれてきたんじゃない!役割じゃなく、ちゃんと名前で呼んでくれ!なんたる侮辱!」なんて、かなりオーバーに反応していました。
まあ、冷静に考えてみたら、見ず知らずの魚屋さんに名前で呼ばれたりしたら、かえって不気味なんですけど、「奥さん」なんて呼ばれ慣れていないものだから、びっくりしちゃったんですね。
特に私は家事が大の苦手な落第主婦なもんですから、「こいつ、あてつけか?」なんて、意味もなく深読みしちゃったりしてね。
聞くと、おしゃべりにつきあってくださっているお仲間の翻訳者さんも、似たような気持ちを経験されたそうで、結構「あるある」なのかな?と思ってしまいました。
「奥さん」に対する反応に限らず、いろいろと知らないうちに米国の流儀を持ち込んで、それが尊重されないことに苛立ちを感じていた時期は、結構長かったと思います。
あるとき、美容師さんとおしゃべりをしていて、富良野の家の草取りの話になって、ご近所さんは農家をやっているじいさんばあさんが身内にいて草刈をしてくれるようだけど、うちは実家も離れているので、シルバー人材センターに来てもらっているという話をしたことがありました。
で、私が「自分で草取りをしようとして腰を痛めたし、シルバーさんの方がその道のプロなんだから、シルバーさんにまかせて私はその時間稼いだ方がいい」みたいなことを言ったら、
「ハンナさん、それは勝間和代みたいな発想」と言われましてね。
・・・北海道の勝間和代か・・・。
頭の中に、ラベンダーを背景にしたのどかな富良野の風景と、「ラ~ラ~ラララララ~ラ♪」という「北の国から」のテーマソングが流れ、黒板純くんの横に、勝間和代が立っている構図が思い浮かびました。
・・・あ、合わない(汗)・・・
あり得ないほどのミスマッチ・・・。
私って、そんなふうに見えていたの?
こりゃぁ誰も近寄らないはずだわ。
・・・と思ったら、かなり落ち込みましたねぇ。
そんなに自分が浮いているとは、知らなかった。
だけど、半年ぐらいたつうちに、いつしか最初ほど違和感を感じなくなりましてね。
ふと気が付くと、「奥さん、今日はメロンが特売だよ」と言われても、「奥さん」に過剰反応したりせずに、「えっ、赤肉?青肉?お兄さん、おいしそうなの選んでよ」なんて気さくに返せるようになっていた。
慣れてきたら、単なる挨拶だし~、と、全然気にならなくなったんですね。
で、この「慣れ方」って、何かに似てるなぁ~・・・と思って考えていて思い当ったのが、いろんなお風呂がある「スーパー温泉」。
私はよく、中富良野という隣町の温泉に日帰り入浴に行ってたんですが、そういうスーパー温泉に行くと、「高温風呂」とか「低温風呂」とか「ジェットバス」とか「サウナ」とか「露天風呂」とか、いろいろなお風呂があるんです。
どれも最初に足を入れると、「ギャッ、熱い!」とかびっくりして、すごい居心地が悪いんだけど、しばらく我慢して浸かっていると、体がその温度に慣れてきて、快適になってくるんですね。
で、1つの浴槽の温度設定に慣れた状態で、別の浴槽に移ると、また「わっ、冷たい!」とかびっくりするわけですよ。
だけど、しばらくすると、また慣れてくる。
ひょっとして、文化と文化の間を行き来する、というのも、そういうことに似ていて、
たとえば米国の温度に慣れてしまうと、女性が「奥さん」と呼ばれる状況を経験したときに、熱湯をぶっかけられたみたいな反応をしてしまうけど、それは「米国風呂」という浴槽に浸かったまま「日本風呂」を見ているからであって、
「日本風呂」に浸かっている人は、別の物差しで「奥さん」という言葉を捉えていて、熱湯などのようには感じていないのでは?
もしかすると、日本風呂の環境においては、「奥さん」という呼び名は、せいぜい「かけ湯」程度の印象しかないのではないか?
・・・という気がしてきたんです。
そして、「奥さん」という呼び名はひどい、やめるべき、というような意見は、「高温風呂」に入っている人が、「低温風呂」を心地よいと感じている人に「そんな水風呂みたいなところに入ってかわいそう。温度を上げた方がいいよ」と説教するのと同じぐらい、無意味な議論なのではないか?・・・と思えてきました。
人間、自分が心地よいと感じているものを変えるなんて、よっぽどの事情がない限り、しないと思うからです。
もちろん、居心地が悪いと感じる人が一定数を上回るようになると、全体の温度を変えましょう、という動きも出てきますけどね。
そして、不思議なことに、「日本風呂」の体感温度に慣れてしまうと、「米国風呂」に浸かっている人の気持ちがわからなくなってくる。
しばらく日本で暮らした後で米国に来たときに、「奥さん」とは呼ばれず、「ハンナさん」と呼ばれたのだけれど、あれほど「ハンナさん」と呼ばれたいと切望していたにも関わらず、最初に感じたのは、「嬉しい」という気持ちももちろんあるけれど、同時に、「いやに馴れ馴れしいな」という気持ちだったのです。
それだけではなく、「女性蔑視だ!」とか目くじらを立てている米国の女性活動家を見ていると、「アンタたちみたいに、煮ても焼いても食えないオンナがみっともなく大騒ぎしている方がよっぽど恥ずかしい」なんて、自分がワンオブゼムだったことなど都合よく棚に上げて、冷ややかな批判が沸き起こってきたのには、我ながら愕然としました。
(というか、ワンオブゼムだったからこそ余計に腹が立つのかもしれないですが)
自分が浸かっている浴槽の温度が変わると、同じ物事でも、ずいぶん違って見えるものだなあ、とびっくり。
こうなると、どこからどこまでが自分の本当の意見で、どこからどこまでが周囲の考え方の影響を受けているのか、わからなくなります。
だって、どちらの意見も、そのときは本気でそう思っていたんですから。。。
文化の考え方の影響と自分の意見を切り離すのは、すごく難しいことだと思う。
せめて、外の文化から、自分がどのように見えているのか、ということを考えてみると、自分を客観的に見るための手がかりにはなるかもしれないですね。
あと、「慣れる」ということは、適応するということであると同時に、良くも悪くも「鈍感になる」「感じなくなる」という意味合いも持つ、というのも、気を付けたいところ。
ぼんやりしているうちに、とんでもないことに目をつぶるようになっていた、なんてことにならないように、こだわりを持つべきことに対しては目を開いて、気を付けておかなくちゃな~、と思った次第でした。
実際にうまくできるかどうかわかりませんが・・・。
いや~、いろいろ考えていたら、温泉が恋しくなってきました。
「北のたまゆら」温泉の露天風呂に行きたいなあ。

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異文化とスーパー温泉の共通点」への9件のフィードバック

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    奥さんね、私も違和感覚えたな。っていうより、私は日本に帰るときって仕事がらみが多かったし、それから自分のお金で買えるときって、あんまり仕事を休めない、実家が狭い、などの理由でせいぜい4日くらいのとんぼ帰りだからかもしれないけど、東京の街を歩くときは一人が多いせいか、日本に帰ったとたんに母親である自分を完璧に忘れて、なぜか日本にいた独身時代の感覚に戻ってしまう。アメリカにいるときにはひとりでスーパーに行ってもよその子が{Mom!」とかわめいているとつい反射的に振り向いちゃうほど自分イコール母親になっているのに不思議。だから奥さんとか呼びかけられても、絶対自分じゃないと思い込んでいて、周りい誰もいなかったりすると、え、あたーし?なんで?みたいな感じになっちゃうのです。それで、地下鉄なんかに乗っていて、ふっと車窓に目をやると、なんだかどっかで見たおばさんの姿が映っている、あれ、えっ?あれって私?頭の中ではすっかり25歳の自分のつもりだったのに、現実は何十年もたっておばさんになった私が日本までちゃんとついてきていたのでした。

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    すごくわかりやすいたとえですね!
    外国と日本、というくくりだけではなく、たとえば男性風呂と女性風呂とか、なんだかすべてのことに当てはまりそう。同じ国に住んでいても、同性であっても、人によって物差しが違いますもんね。でもやっぱり、育った文化による違いは大きいですよね。

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    こんにちは(^^)なんだか友達の文体に似ているので、親しみを感じました。大変だと思いますが、更新頑張ってください。こちらのブログにも遊びに来てください!

  • あずさ

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    とっても楽しいブログですね☆
    個性的でとっても素敵だと思います(*´∀`)ノ゙
    私もブログ書いてるので遊びに来てもらえると嬉しいです☆彡

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    >akichanさん、それはすごく面白い視点ですね。私もしばらく日本を留守にしていて久しぶりに戻ると、前回戻った時点から日本の自分の成長が止まっているような錯覚を起こして、育てなおしをしないといけないような感覚に陥ります。結局、自分の中で時計が止まってしまっているんでしょうね。「なんだかどっかで見たおばさん」という表現、笑ってしまいました。

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    >チョココさん コメントありがとうございます。あ~、確かに男風呂、女風呂という表現もできますね。本当に物差しって外の環境に影響されますよね。「育った文化」の影響は多大です。子供の頃に学んだ物差しって、忘れていてもすぐに思い出したりしますよね。いいんだか、悪いんだか。

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    >かおる(*´∀`)さん おお、タイにお住まいなんですね。タイは物価も安く、暮らしやすいところと聞いていますが、そうなんでしょうか。料理もおいしいし、落ち着いたら一度行ってみたいです。

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    >あずささん ありがとうございます。写真がいっぱいできれいなブログですね。世界一周、私も若い頃にしたことがあります。行くなら若いうちがいいですよ。

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