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プロとアマの境目

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皆様、こんにちは!
お元気でお過ごしですか?
昨日は、ブログを通じてお友達になった、プロのピアニストの方のリサイタルに行って来ました。
図々しく一番前の席に陣取り、じっくり生演奏を聞かせていただきました。
ラフマニノフやショパンなど、高度なテクニックを必要とする演目を堪能してきました。
いやー、生演奏は、臨場感が全然違いますね~・・・。
・・・何を隠そう、私はピアノにはちょっとした思い入れがあります。
実は私はピアニストになろうか英語の専門家になろうか、迷っていた時期があるのです。
4歳でピアノを始め、18歳で上京するまでピアノを習っていました。
アメリカの大学でもピアノを副専攻にしていたんです。
・・・ここ最近、人生の折り返し地点も過ぎて、過去を振り返る余裕ができてきたのか・・・。
「あのとき自分には、AとBという選択肢があって、自分はAを選んだけど、Bを選んでいたらどういう人生になっていただろう?」って考えることがあるんですよ。
結婚なんかもそうですよね。
Cさんと結婚したけど、Dさんと結婚していたら、どうなっていただろう、みたいなこと。
皆様は考えること、ありませんか?
私は人生での決断を振り返ったときに、「英語」と「音楽」という進路の選択肢が、一番迷いが大きかったんですね。
人生のある時点において、今プロとして活躍されている方々と、同じ岐路に立たされていた時期があったわけです。
その当時は、ポテンシャルもあったし、チャンスも十分に与えられていたと思います。
傲慢かもしれないけれど、レベル的に肩を並べていた時期も、一瞬かもしれませんが、あったと思うのです。
だけど私はアマで終わり、彼らはプロになった。
この違いは何なんだろう?
どこで差がついたんだろう?・・・って、演奏を聴きながらずっと考えてました。
私は地道にコツコツとピアノの練習をするのが苦手でした。
「ピアノを専攻にするなら、奨学金を出してあげる」と言われても、コミットする気になれなかった。
周囲が評価してくれても、逆にプレッシャーを感じてしまったんです。
そして「英語の方が、何かと潰しが利く」って、その当時思ったことを、よく覚えています。
英語を勉強する方が、応用範囲が広いから、何らかの形で役に立つだろう、と思ったんですね。
好意的に見れば、安全策を取った、という見方もできます。
でも、ある意味、逃げの姿勢だった・・・とも言えるのではないか。
そんな気がします。
あのとき、自分でも納得のいく決断を下していれば、今になって「ピアノを選んでいたら、どうなっていただろう」なんて、思わなかったのかもしれません。
な~んか、気になるドラマの最終回を見逃したみたいに、釈然としません。
悶々とするんだけど、結末は永久にわからずじまい。
私とは逆に、プロの音楽家になりたくて、その夢をかなえるために英語を勉強したという友人もいます。
今NYでジャズピアニストをしている方です。
翻訳の仕事を通じて知り合ったのですが、彼はもともと英語は渡米するための手段と割り切って仕事をしており、いずれは音楽家として独り立ちするというビジョンを抱いていました。
「英語の方が潰しが利く」みたいな考え方をしてしまう私には、正直、彼の決断はリスクが大きすぎるんじゃないかと思えました。
音楽なんて、それこそ国境関係ないですから、競争も熾烈でしょう?
そこまで人生を賭ける価値があるのだろうか・・・と思ってしまったんです。
その友人と、先日話す機会があったので、聞いてみました。
「夢を追うって、口で言うのは簡単だけど、大変じゃない?」って。
そしたら彼はこう言いました。
「そりゃ大変だけど、自分に嘘をついて生きることは、人様にもっと大きな嘘をつくことになる。
僕はそう思っています」
私、それを聞いて、ガーンと頭を殴られたような気がしてね。
ここにプロとアマを分ける何かがあるのかもしれない、と思いました。
練習量が足りなかったとか、情熱が足りなかったとか、そういう様子は外から見て判断できることです。
でも、プロになった人というのは、自分にとことん向き合って、自分に嘘をつかないことを選んだ人たちだったのかな、と思いました。
私のように、逃げたいときも、きっとあったのかもしれない。
でも、"Took his life seriously", つまり、目を逸らさなかったのではないのかな・・・と。
自分に真摯に向き合って、進路を決めた人というのは、どこか腹を括ったようなすがすがしさというか、覚悟ができているように見えます。
そして、人生において、その覚悟をきちんと決めたかどうか、というところが、あとで大きな差を生むのかもしれない・・・と思いました。
私は、英語の専門家/翻訳者という道を選んだこと自体は、後悔していません。
でも、「潰しが利く」とか、そういう情けない理由でこちらの道を選ぶべきではありませんでした。
それは、英語に対しても、音楽に対しても、自分に対しても失礼な姿勢でした。
そしてこう思いました。
今からピアニストを目指すことはないだろうけれど、
自分につく嘘を減らして行くことは、今からでもできる。
そうやって、純度を高めていく努力が大切なんじゃないかな・・・と思いました。
だって、これから20年後に、今の自分を振り返ったときに、「自分は逃げていた」と思うようでは、あまりに悲しすぎますよね・・・。
ということで、まずは私も、そのような努力から始めてみようと思います。
プロの音楽家になった人たちの背中を見ながら、そんなことを考え、決意を新たにした一日でした。
お読みいただき、ありがとうございました!

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