皆様、こんにちは!ランサムはなです。
先日、弟一家とご飯を食べに行きました。
弟の家は、高校生の男の子、まもなく中学生になろうとしている男の子、小学生の女の子、奥さんの5人家族。子育て真っ最中です。
塾通いや受験などの話を聞いていて、そうだ~、日本は今は受験シーズンだったな~・・・と思い出していました。
私自身は、はるか昔になりますが、高校受験で失敗しています。
だから受験というと、あまりいい思い出がないんですね。
受験で不合格になったときの気持ちって、経験のない人には絶対にわからないと思う。
だって、敗者のレッテルを貼られるって、それはそれは強烈な経験ですよ。
私の場合、失敗経験のある人が周囲に誰もいなかったので、なかなかの孤独感でした・・・。
でも、ウン十年が経過した今、振り返ってみると、いろいろと腑に落ちることが多いです。
今になってみると、不合格っていうのは、成績の問題もあるけど、相性っていうのが大きかったような気がするんです。
なんでかっていうと、私は今、翻訳という仕事をしていて、東京、アメリカ、イギリス、イスラエル、オーストラリア、ニュージーランド、ドイツ、ルクセンブルク、ルーマニア、フランスの会社と取引があるんですけど、
どういうわけか、地元・北海道の会社とはお取引が全くないんですね。
たまたま北海道出身なので拠点を置いてますけど、仕事に関する限り、北海道という土地とは見事なまでに縁も接点もないんです(道民割引を設けているにもかかわらず、です)。
北海道のお客さんの仕事をしたこともないわけではないんですが、なぜか巡り巡ってイギリス経由でその仕事を持ちかけられたりして・・・。
インターネットのない世界でずっと北海道に住み続けていたら、自分が翻訳者に向いていることなんか気づかずに、無力感に打ちひしがれたまま一生終わっていたかもしれないんです。
それほど、私の適性と北海道で必要とされているスキルとの需要って、まったく一致しないんです。
私が自分の実力をフルに発揮できる場所は、北海道には(今のところ)ないんです。
今になって考えると、その傾向は高校受験の頃からあって、それがたまたま不合格という形で浮かび上がって来てしまったんだな、と納得できるのです。
自分を高く評価してくれる土地(国も含め)と、そうでない土地って、絶対存在します。
高く評価してくれるから(自分/相手が)いいとか、評価してくれないから(自分/相手が)悪い、というように簡単に決め付けられる話じゃないんだけど、住む土地との縁とか相性って、絶対存在すると思います。
そして土地との相性って、結構重要です。
だから、望まない結果をもらって、打ちひしがれている人がいるとしたら・・・。
今は他の可能性なんて考えられない気持ちかもしれないけれど、これでゲームオーバーではないこと、
まだまだ逆転は可能なので悲観しないこと、
人生は、一回の試験で決まってしまうほど簡単なものではないこと、
そして今回はたまたま相性が悪かっただけで、自分の強みを生かせる舞台が世界のどこかにある、という意味かもしれないことを、
「Blessing in disguise」という英語表現と一緒に、頭の片隅に置いておいてもらえたら、嬉しいです。