皆様、こんにちは!ご無沙汰しております~、ランサムはなです。
先週末に、無事に日本に戻って参りました~・・・。
ここ数か月、殺されるんじゃないかと思うほど仕事が立て込んで、ブログ更新もままならない状況でした。「殺人的スケジュール」ってこういうことなのかと実感。
ホントに飛行機に乗るギリギリ直前まで、搭乗ゲートの待合室で仕事を片付ける有様で・・・汗。
お土産なんかも時間がないので、出発前日にば~っとお店を数軒回って、一気にばばーっと買って、出発前日に荷造りをしてトルネードのように飛び出して来ました。
オースティンの空港では、なんとセキュリティの列が長すぎてダラス行きの便に乗り遅れるというハプニングに遭遇!それはまた別の機会に書くとして・・・。
で、今回非常に限られた時間の中でお土産探しに奔走していて、ふとあることに気付いたんです。
ひょっとしてお土産って、日本とアメリカでは根本的に性質が違うんじゃないか?・・・って。
今回、日本に帰国する少し前に、数人の友達に「何か買ってきてほしいものある?」って聞いたんですけど、その反応に関して、とても興味深い現象が見られました。
アメリカ人の友人やアメリカに住んでたことがある日本人は、「負担にならなければこれ買って来て」って、すぐに答えをくれるんです。
たとえば日本に住んでいるアメリカ人の宣教師の友人は、「荷物にならなかったらCLIFのピーナツバターバー(アメリカのスーパーに行けばどこにでも置いてある)をお願い。アレルギーの関係であれしか食べられないの」と言ってくれたし、
学生時代をテキサスで過ごした友人は、「はなさん、スキットルズのサワー味買って来て」って言ってくれました。
二人とも私が三か月おきに日本とアメリカを往復していて、現地人として暮らしているのを知っているので、荷物的にも金銭的にもそれほど負担にならず、どこででもすぐに買えて、かつ自分がもらって嬉しいものを言ってくれる。
それって、私にとってはすごいありがたいことなんです。
常に締切に追われている私のような者にとっては、お土産を買いたいけど何を買っていいかわからない・・・と無意味に店をウロウロすることほど、消耗することはないんです。
まあ、時間の無駄っていうのもあるけど、それ以上に努力しても報われるかどうか(つまり喜んでもらえるかどうか)がわからない、という不確定な要素があると、地図なしで砂漠に放り出されたような無力感を覚えてしまう。
ところが日本の人って、子供なんかは別だけど、大部分の人が「お土産何がいい?」って聞いても、何も答えてくれないの(例外もありますが)。海外在住(経験)者と比べると、ほんとに180°真逆の反応。
もちろん現地に何があるかわからないっていう人もいるだろうし、それほどテキサスやアメリカに興味がない人もいるだろうし、事情は人それぞれだと思うんだけど。ひょっとすると、悪いと思って遠慮している人もいるのかもしれませんね。
ただ、日本人特有の口ぐせとして、異口同音に「気持ちが嬉しいんだよね~」って言うわけ。
その一言が、とっても気になっちゃったんですよね。
お土産を準備する側としては、せっかく時間とお金をかけてお土産を見つくろうわけだから、どうせなら相手が喜ぶものを買って行きたい・・・相手の喜ぶ顔を見たい・・・と思ってしまうんだけど、
何というか、日本の方々の反応を見ていると、何をもらうかということよりも、お土産を持って来るという行為そのものを評価してあげよう、と思っているみたいなんですよね。
う~ん、それは突き詰めて言うと、お土産の主人公は「もらう人」じゃなくて「あげる人」だ、ってことですか?
だって、受け取る側がもらって嬉しいかどうかよりも、あげる人が周囲からどう評価されるかということの方が重要なんでしょ?
ある意味、受け取る側を見ていないというか、もらう側の気持ちは(あんまり)視野に入っていないってことですよね?
そう仮説を立てれば、なんで日本人があれだけ必死になって旅行先でお土産を買いまくるのか、海外の人から見て「謎」としか思えない現象も説明がつくなあ、と納得しちゃったわけです。
あげる人の気持ちを(もらう側が)汲んであげるべき・・・って、要するに、もらう人があげる人を評価(悪く言えば値踏み)してるってことですよね?
逆に言えば、買って行かなかったら、何を言われるかわからない。
(実際には何も言われないかもしれないけど、あげる側はそう思っている)。
う~ん、道理でみんな必死でお土産を買うわけだ~・・・。
な~んか、今まで自分もあんまり意味を考えずに「しきたりだから」と実践してきたことではあったけど、こうやって言葉にしてしまうと、身も蓋もないというか・・・。意外にえげつない習慣だったのかと思うと、結構ショック。
こういう発想は、海外にはないですよね・・・
単にもらって嬉しいか、嬉しくないか。それだけ。
そしてアメリカとか英語圏(←他は知らないけど、欧州もそうなのでは?)では、主人公はもらう人。
受け取り側が喜ぶかどうかが、一番大事なこと。
あげる側の気持ちもそれなりに大事だけど、比率にしたら、重要さは20%ぐらいじゃないでしょうかね?
なんか海外は両想いになることを目指してプレゼントを準備するんだけど、日本は片思いの人が一方的に告白して終わり・・・に似た図式があるんじゃないかと思えてきました。
そういえば、片思いで思い出したんだけど、私の友人(在米生活の長い日本人男性)が、日本在住の女性とお見合いをして、しばらく付き合ってたことがあったんですけど、そのときに話してくれた体験談が興味深かったのでご紹介しますね。
付き合い出して間もない頃、お相手の女性が、私の友人にネクタイをプレゼントしてくれたそうなんです。
だけどこの友人はアメリカ暮らしが長く、ネクタイ着用で出勤なんてまずない。大抵はポロシャツ。ネクタイなんて絶対にしないから、「ボクはネクタイしません」ってハッキリ言っちゃったそうなんです。
私、それ聞いて「Aさん、先方は気持ちを汲んでほしいと思っているだけで、たまたま選んだプレゼントがネクタイだったというだけだから、ネクタイしないなんてはっきり言わない方がいいと思いますよ。親しくなってからあとで小出しにした方が」って思ったんです。
だけど、Aさんは「毎回ネクタイをもらうことになっても困るし、ウソを言うのは不誠実。自分のことを知ってもらうためにも早めに伝えておいた方がいいと思って」っておっしゃるわけ。今のままではすれ違いになっちゃうから、「両想い」になるために必要な情報をインプットしてあげたわけで、彼なりの誠意だったんですよね。
だけどその女性の方は、「何がほしいとはっきり言ってプレゼントしてもらうよりも、サプライズみたいに何も聞かずにプレゼントをもらう方が感激する」って考えをお持ちの方だったようで、それで気を悪くしたのが直接の原因かどうかはわからないのですが、結局友人とは別れてしまいました。
まあネクタイをしない人にネクタイをプレゼントしちゃうって時点で、相性がよくなかったという見方もできなくもないけれど、友人としては両想いへと一歩前進するための歩み寄りだと思っていたと思うんですよ。だけどお相手の方はそう受け止めることができなかったんですね。
「あげる人」が主人公と考えるか、「もらう人」が主人公と考えるか、その視点がずれていると、受け止め方がずいぶん変わってしまうんだなあ、とつくづく思いました。
もう1つ思い出した話があるんだけど、あるアメリカ在住の日本人女性のお母さんが娘の家に時々遊びに行くそうなんですが、娘さんが仕事で家にいないときは、お母さんがいつも娘さんのご主人(アメリカ人)の分も朝ごはんを作っていたそうなんです。お母さんとしては、日本では家族の分ごはん作っていたし、当然というか、親切心のつもりでね。
ところがある日、いつものようにご主人の朝食を出してあげたら、ご主人が「もう我慢できない」と烈火のごとく怒り始めたそうなんです。お母さん、何が悪いのかわからずにぽかんとしていたら、「食事を作ってほしいなんてこちらから一言も頼んでいないのに、押しつけがましいにもほどがある」と言われたんだとか。
お母さんは「何をそんなに目くじらを立てて弾劾されるのかわからない。気難しい男だ」と憮然としていたそうで、その話を私に教えてくれた人もそのお母さんの味方。「気持ちが大事なんだから、たとえ気に入らないものを出されても、気持ちを汲み取って感謝してあげるべきなのにねえ。小難しい」とか言っていたんです。
う~ん、でも、アメリカ人は「料理してくれる気持ちが嬉しい」なんて思わないと思うんですよね。アメリカではあくまでも受け取る側が主人公だもん。なんでもらう方があげる側に気を使わないといけないのか?・・・って考えるのはごく自然だと思う。「気持ちを汲み取れ」ってアメリカ人に要求する方が無理がありますよ。「チキンにしますか?ビーフにしますか?」と聞かれずに、いきなりチキンが出てきたらむっとするでしょ?あんな感じだと思いますよ。本人にちゃんと確認を取らない限り、単なる押しつけにしか見えないもん。それに、何も聞かれずに一方的にごはんなんか出されたら、子ども扱いされている、と不快に感じても、それはしょうがないと思います。
「気持ちを汲み取る」って、一見思いやりがある麗しい行為のように聞こえるけど、コインを裏返せば、絶えず周囲からの評価を気にしなければいけない、ということにもつながるわけで・・・それもまた度重なると窮屈な話だと思うんですよねえ。いいんだか悪いんだか。
なんか、お土産からプレゼントの話になり、最後は善意の押売りの話になっちゃいました。
これは文化の違いだから、どっちがいいと甲乙つけられる話ではないと思うんですけど、どうせお金とエネルギーを使うのなら、私だったらもらう方の気持ちも無視せずに、「両想い」を目指す方が嬉しいなあ・・・と思ってしまうのは、私がアメリカナイズされてきたからでしょうかね?
それにしても、善意で何かをしたつもりでも、すれ違いに終わってしまうことってあるもので・・・
相手に伝わるように思いやりを届けるって、本当に難しいですね。
2つの文化の狭間でつくづく考えさせられたので、シェアさせていただきました。
ううっ、久々にブログを書いたと思ったら、まさかの長文(汗)。
おつきあいくださり、ありがとうございました。
今回はいつもより長く日本に滞在する予定ですので、お近くにいらっしゃる方がいたらぜひご連絡くださいませ。
はじめまして。アトランタ在住の翻訳者です。おみやげの「両想い」と「片思い」、まさにその通りですね。日本へは何を持っていけばいいのかいつも悩みますが、先月の里帰りでは、レモン味の薄型オレオが喜ばれました。日本で売っていない物というのが良かったみたい。でも、どんなものが売っていないのか、なかなか分からないんですよねぇ。
コメントありがとうございます!本当に「日本で売っていない物というのが良かった」=希少価値、というのがポイントですよね。だからスタバが日本に進出する前なんかはスタバのコーヒーで大喜びしてもらえたこともありましたけど、今はスタバなんてセブンイレブンでも買えますから、価値がなくなってしまいました。両方の国の市場と人気って、なかなかわかりづらいし、毎回同じものでも飽きられるし、たかがお土産と言っても、考え出すと結構深いですよね。レモン味の薄型オレオ、次回ぜひ試してみたいと思います!情報ありがとうございます!
なるほど、お土産やプレゼントの感覚が違うのですね。大変参考になりました。
コメントいただきありがとうございます。文化の違いというのはなかなか翻訳で表現するのが難しい領域なので、いつも意識しています。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
はじめまして。沖縄県民です。お土産について、日本人と外国人でそこまで感覚の違いがあることに驚きました。よく巷にある、お寿司のキーホルダーとか扇子等のお土産は喜んで貰えるのでしょうか?
話は変わりますが、お願いがあります。
私は26歳にしてアルファベットを全部書けるようになった英語レベルの者です。英語初心者とゆうか何年勉強しても頭に入りません。図々しいお願いだとは思いますが…なにか良い勉強方法を教えて貰えないでしょうか。
コメントありがとうございます。お寿司のキーホルダーや扇子などのお土産は、日本らしいので喜んでいただけるのではないかと思います。あとはTシャツなども、何枚も持っていてもいいので重宝すると思います。
英語は日頃使う習慣がないと、なかなか頭に入らないものだと思います。続けることが大切ですが、理由がないとモチベーションを持続させるのが難しいので、楽しく続けられる方法を見つけることがまずは第一かと思います。まずは身近なところから、映画やテレビ、食べ物などでもよいので、英語を使ってみたいと思う分野を1つ見つけて、小さな目標を1つ1つクリアするようにしていくと、飽きずに続けられますよ。義務だと思うと苦しくて続かないので、楽しく続けられるように工夫してみてください。ご参考にしていただければ幸いです。