私が翻訳の仕事をするようになった最初のきっかけは、ウン十年前、アメリカの大学院に行っていたときに、日本語でハイテク関連ニュースを配信しているニューヨークの報道機関で働く友人から、「バイトしない?」と、声をかけられたのがきっかけだった。
「ハイテク関連の英語のプレスリリースの記事があるんだけどさぁ、これを1日2~3本、日本語に翻訳して記事にまとめて、メールで送り返してくれないかな・・・。」
「そんなテキサスの片田舎で、日本語の仕事なんてないでしょ?
家賃ぐらいにはなるんじゃない?」
・・・と言われて、挑戦してみることにしたのだ。
私は当時、テキサスの大学院で教育学を勉強しながら、このまま他の仲間たちと同じように博士号を目指して、大学の先生になって一生を終えるのかしら・・・とぼんやり考えていた。
実を言うと、大学院には入ったものの、肝心の論文を書くのが苦痛でたまらなかった。こんな退屈な(←私にとっては)ものを毎年書いて、学会に行って論文を発表して、教授たちの派閥争いに巻き込まれるのか・・・と思うと、考えるだけで胃が痛くなった。
夏休みが長いことだけがうらやましかった。
↑・・・こんな動機じゃ、続けられるはずがないですね(;^_^A。
そんな迷いがある状態だったので、バイトの話は渡りに船だったが、はじめから翻訳者を目指して、そのための訓練を受けていたわけではないので、最初は自分が何をやっているのかさっぱりわからなかった。
朝起きてパソコンの前で待っていると、午前10時(ニューヨーク時間の午前9時)に「今日の1本」という題のメールが送られてくる。3本記事が来るときは、「次の1本」「最後の2本」という件名もあった。
その日の朝に、その友人が数あるニュースの中からめぼしい記事を見つけ、メールに本文を貼り付けて送ってくれるのだ。
夕方には記事として完成して日本に送らなければいけないので、締切はその日の午後2~3時。
実質作業時間が4~5時間の制限時間で、何とか体裁を整えて記事にして送り返さないといけない。
これはきつかった。
何せ、フタを開けてみるまで、内容が何かわからない。
長い記事のときもあるし、短い記事のときもある。
「ぎょえー難しい」と思っても、代わりの人を探してもらう時間的余裕はない。
お手上げだからできません、と突き返す選択肢はなかった。
プレスリリースというのは、最新ニュースなので、鮮度が命。今まで見たことも聞いたこともない新製品やサービスの紹介記事を、英語の記事を頼りに、あたかも自分が見てきたかのように記事にまとめていく。
しかし、私はもともと教育畑の人間なので、半導体がどうの、OSがどうのと言われても、まったくちんぷんかんぷんなのだった(泣)。
調べられるだけ調べて、それでもわからない場合は注記をつけて提出した。
もっと困ったのは、バナーとかアフィリエイトとかブログとか、インターネットで稼いだり交流したりという、まったく新しい概念が出てきたときだ。
当時の日本には「バナー」や「アフィリエイト」に相当する概念=言葉がなかった。
これをどうやって日本語にすればいいのか。
でっちあげることはできないので、まずは既に翻訳されている前例がないかどうかをネットで探しまくる。
前例があればそれを使わせていただく。
しかし、めぼしい訳語が見つからない場合は、自分で訳を作らなければならない。
「Banner」って、「帯」って意味だけど、「帯」って訳していいのか?
いや、帯だと紛らわしいから、「バナー」のままでいいんじゃないか?
「Affiliate」はどうよ?
「提携」という意味だけど、普通の「提携」とは違うから、やっぱ「アフィリエイト」でいいんじゃ?
他にふさわしい表現、ないよね?
・・・なんてことを、制限時間4~5時間の中で、決めていく。
「タイムショック」のBGMのカチカチという時計の音が耳の中で聞こえるようだった。
正解がわからないまま、何とかかんとか締切に間に合わせて納品する。
その繰り返しだった。
自分では全然自信がなかった。
・・・あの「バナー」の訳は、一体どのように決着したのか、知りたかった。
「メール」の訳は「電子メール」になったのか、「Eメール」になったのか?
試験答案を提出したものの、合格したかどうかがわからない生徒のような気持ちだった。
いろいろ聞きたいことがあったが、向こうからはいいとも悪いとも反応がない。
ただ、次の日に「今日の1本」がまた来るだけだった。
いつかは解雇を言い渡されるに違いない・・・
・・・と覚悟しながら仕事に取り組む毎日だったが、気が付くと2年がたっていた。
・・・今同じ仕事をしろと言われても、できるかどうかと思う。
肉体的にも精神的にもストレスの大きい仕事だった。
でも、おかげで締切を守ることの大切さも叩き込まれたし、他の翻訳会社のトライアルにも合格できるようになった。
私にとって「今日の1本」は、野球漫画『巨人の星』に出てくる父・星一徹の野球のノックのようなものだったのかもしれない、と思う。