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社内翻訳者とフリーランス翻訳者(2)

前回から、北海道富良野市の田舎で山猿のような生活を長年続けていた在宅フリーランス翻訳者が、アメリカの某大手IT企業で社内翻訳者をするようになった経緯をお話ししています(そこまでの経緯はこちら)。
ちなみにこの会社は、翻訳会社ではなく、翻訳を外注する場合に翻訳会社にお金を支払う「エンドクライアント」の立場にある会社でございます(当然外資系です)。
つまり、発注する側であり、今までの私の立場から見ると、対極の位置にあることになるわけです。
と言うわけで・・・
引きこもり生活の長い山猿だった私は、慣れない洋服とメークを身にまとい、高速道路の運転が怖いという理由から、かなり回り道をしてよろよろと会社にたどりついたわけですが、初日から何もかも勝手が違っていて、カルチャーショックの連続であった。
まずは新入社員のオリエンテーションということで、その日が初日の新入社員が一同に集められ、身分証明用写真撮影とセキュリティバッジの作成後、コンファレンスルームの一室で会社の説明やら企業理念を聞かされた。
部屋の後ろには、バナナやらヨーグルトやらマフィンやらコーヒーやら、朝食が並べられていて、好きなように食べていいとのこと。
オリエンテーションの途中で、社内ツアーということで作業現場などを見学させてもらい、その後、直属の上司と対面してランチをしてくださいということで、カフェテリアの無料昼食券を渡された。
何だかやたらとタダで食わせてくれて、気前がいい。
さすが発注側はお金持ちだなあと思った。
その後、自分のデスクに案内され、メールアドレスの設定をしたり、給与振込やら人事部関係の手続きをして、その日は終わった。
一語も翻訳をしていないのに、会社に行って説明を聞いて、食べるものを出してもらって食べているだけでお給料がいただけるなんて、信じられないと思った。
会社の敷地内で息をしてデスクでお茶を飲んでいるだけでも、その時間に対してお金がいただけるというのは、山猿の私にとっては天地がひっくり返るような驚きだった。
これに加えて有給休暇があって、休んでいるときにもお金がいただけて、病気休暇もある。
天国みたいな贅沢な話である。
こんな世界があるなんて、と感激した。
次の日から、製品の知識を身につけるため、ということで、会社が顧客向けに提供している製品トレーニングを3日続けて受けた。
技術者向けなので、新人翻訳者には難易度が高く、正直なところ内容にはついていけないのだが、普通のお客さんが何万円も払って受講している講座をタダで受けさせてもらえるわけだから、またとない機会と言える。
ハンズオントレーニングの課題など、全然こなせなくて恥ずかしい限りであったが、自分は知らないことがたくさんあるな、勉強しなきゃいけないなと思った。
ところが、同じ時期に入社したドイツ語とフランス語翻訳者は、「わかんないのに何で講座に出なきゃいけないのかしら~。翻訳者の必須条件じゃないのに」なんて言っている。
冷めてるな~、この人たち、と思った。
しかし、毎日この会社に通ううちに、ここでは「冷めている」のが普通であるということがわかってきた。
フリーランス歴が長い私としては、「仕事=$$$(または\)」という直列回路ができあがっているため、仕事があると血が騒ぎ、松岡修造状態になる。
仕事は多いほど歓迎、土日も必要があれば働いて当然、と考えてしまうのだが、ここではむしろ、残業はあんまり好ましくないような印象なのだ。
以前、大企業では、社員を酷使するという評判が立つと企業イメージが悪くなるため、残業は奨励されないという記事をどこかで読んだことがあるが、この会社もそのように考えているのだろうか。
理由のほどはわからないが、とにかくこの温度差にはびっくりした。
日本語チームの同僚の方々も、給与制のせいか、私のようにガツガツしていない印象だ。
皆さん育ちの良いお嬢さん・ご子息(←昔)という雰囲気で、爽やかで感じがよく、垢抜けた物腰である。
もちろん仕事はするし、期限は守るし、ごくまれに残業をすることもあるのだけれど、どうしても間に合わなかったら次期リリースでもしょうがないですね、みたいなことを決める権限があり、自分の上に立って文句を言う人がいないせいか、どこかおっとりとした雰囲気である。
翻訳メモリツールも会社が使用している製品を1つ知っているだけで、他は知らない(または持っていない)ようだが、全然不自由なく過ごせているようだ。
何というか、「花子とアン」の舞台である修和女学校のご学友と机を並べさせていただいているような気分になってきた。
もっと言えば、血統書付きの犬の間に何かの拍子で紛れ込んだ、雑種犬の心情、とでも言えばいいのだろうか。
私みたいに泥臭く、頭をかきむしりながら新しいツールを覚えたり、あてにしていた顧客からの入金が遅れておろおろしたり、悪徳クライアントに引っかかってケツをまくって戦ったり、クライアントに叱られてひたすら頭を下げたり、締切を落としそうになって、夜が白んでくるまでキーボードを叩いたり、と言うような、みっともない経験は、この人たちはしたことがないんじゃないだろうか。
そんな荒々しい乱暴な世界なんて、想像もつかないかもしれない。
とにかく、このような品のある同僚の方々に囲まれて、私は少しずつ社会復帰を果たすことができた。
それにしても、発注側と受注側とで、立場が変わるとこんなにも見える世界が違うのは驚きだ。
同じ翻訳者と一口に言っても、本当にいろんな世界があるものだと痛感した。
・・・・・・
社内翻訳者をやってみるという経験は、思った以上にメリットが多かった。
当初のお目当てだった医療保険に加えて、通勤の副産物として、昼夜逆転していたスケジュールが正常になり、早起きになった。
週末や祭日と平日の区別がつくようになり、メリハリがついて健康にもなった。
富良野に住んでいたときは、同僚とランチなんて夢のまた夢だったが、今は同僚の方々や同業のお仲間を通じて、おいしいレストランやお勧めのコーヒー屋さんなどをたくさん教えていただき、行動範囲も広がった。
「会社員は無理」という、子供の頃からの思い込みからも解放されたし、車の運転も上達したと思う。
適度に肩の力が抜け、居心地のいい会社の雰囲気にも慣れて、「ごきげんよう、さようなら」的ににこやかに会社を出るのも、一応マネできるようになった。
しかし、周囲の目はごまかせても、所詮はひとまねこざるがマネをしているだけで、洋服の下が山猿のままであることは、自分が一番よく知っている。
一日の仕事を終えて帰宅し、服を脱いで裸になると、やっぱり裸はいいなあと思い、野性的な生活が恋しくなる。
そして特に月曜日の朝になると、結局のところ、猿はやっぱり猿らしく、裸で家の中で過ごすのが一番自然な姿であり、今でこそ洋服を着て会社に行ってはいるけれど、遅かれ早かれ、いずれは洋服を脱ぎ捨てて、再び山猿生活に戻って行くんじゃないだろうか、と言う気がしてならないのである。
お読みいただき、ありがとうございました。
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社内翻訳者とフリーランス翻訳者(2)」への4件のフィードバック

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    なるほど~・・と興味深く記事を拝見させて頂き、そして一番最後の文章で、
    「え!!!???」
    >一日の仕事を終えて帰宅し、服を脱いで裸になると
    つまりご自宅では素っ裸でお過ごしになっておられるということでしょうか(爆)??それとも私の読み間違い??朝から笑わせて頂きました(ノ´▽`)ノ

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    >さっちまんさん あれっ、確かに全裸と思われてもしょうがない書き方ですね~(汗)いやいやいや・・・まあ寝間着っぽいので、裸同然なのは間違いないですが。以前、村上春樹さんのエッセイに「全裸家事主婦」ってのがありましたね。一日中全裸で過ごしている人って実際にいるみたいです。「全裸家事主婦」で探してみてください。いや~、恥ずかしいから書き直してもいいけど、笑えるからほっておきますか。

  • baba-neko

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    社内翻訳者として働いていた時、翻訳チームのリーダー(同い年の女性)が交渉してくれて、製品についての翻訳者用プレゼンを何度もやっていただいたことがあり、すっごく助かったのを今でもありがたいと思っています。まあ、チームの私以外の翻訳者(日本人)はもっとクールだったけど。
    でも、その技術をおおまかにでも(ざくっとでも)わからなければ、翻訳はできないと私は思うのです。社内翻訳者の特権として技術者(理解のある人)をとっつかまえて、迷惑だよなと思いつつも、質問しまくりもしました。
    それと、やっぱり同業者と直に接触できる(仕事以外にもランチとか飲み会とかでのお喋り)っていうのもいいよね♪まあ、気を使うことも、使われることもあるけど。

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    >baba-nekoさん ありがとうございます。この記事の後、アクセス数は上がったんだけど、同業の翻訳者の方からのコメントも「いいね」もなく、はて、何か失礼なことを書いたか?と心配になっておりました。そして、ばば猫さんのコメントを読んで、やっぱり最初の熱意を忘れずに、迷惑がられても質問しようと思いました。当時の気持ちを思い出させてくださって、ありがとうございます。
    私としては、社内翻訳者もフリーランスも関係なく、皆さんと仲良くできればいいと思っています。でも、私自身がフリーのときは、何だか社内翻訳者を敬遠していました。なので、自分の経験を踏まえて、ちょっとでも双方に遠慮や誤解があるなら、取り払うお手伝いができればいいと思いました。本当にありがとうございます。

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