社内翻訳者になってから、マニュアルのイラスト部分に翻訳を入れるために、イラスト用のソフトの使い方を教えてもらった。
翻訳者だから、あまり難しい操作はできなくても構わないが、英語の文字部分だけは日本語で上書きしてください、と言われて、慣れない手つきで画像ファイルに触ってみた。
画像の中には、文字に見えるんだけれども、マウスのカーソルを合わせて上書きしようとすると、全然反応がなくて、何度かカチカチクリックしているうちに、「あ、これ、文字列扱いじゃなかった!」と気づくことがある。
どういうことかというと、「Web」という単語があったとしたら、「W」「e」「b」という文字が1つ1つ「画像」として埋め込まれていて、一見文字のように見えるんだけど、画像処理ソフトでは文字として認識されていないのです。
何かに似てるな~と思って考えていたら、2003年に日本に戻ったばかりのときに、日本で経験した逆カルチャーショックを思い出しました。
私は翻訳という仕事をしているので、街でも看板とか標識に文字が書かれていると、つい一字一句しっかりと読んでしまいます(ついでに無意識のうちに、誤字・脱字も探してしまう。←性格悪いですね)。
こういう仕事なので、極端に文字に固執している傾向があることは否めません。
地図は読めないけど、「札幌まであと30km」とか標識があると、安心するし。
看板の情報に頼りがち。
なので、日本に帰っても、買物などに行くと、マクドナルドの「I’m lovin’ it」とか、パソコンについている「Windows」のロゴなんかをまず読んで、「ほら、マクドナルドの看板に『アイムラヴィニット』とか書いてあったしょ?」と話題を振るんだけど、周囲の反応は、ほぼ全員が「えっ、そんなこと書いてあったっけ?」というものなのです。
誰も読んでいない!!
ロゴやデザインに含まれているアルファベットや英語の文字を、まったく読んでいないのです。
この事実には、正直、愕然としました。
レジ袋とかドーナツ屋さんとか、あたりを見回すと、結構英語の文字に囲まれて生活しているみたいに見えるんだけど、全然読んでいない。
書かれていることについて話そうとすると、話題がかみ合わない。
しばらく暮らしているうちに、わかってきました。
英語が好きで意図的に勉強している人はともかく、義務教育のあとで英語から遠ざかってしまった一般の日本人にとって、英語はもはや「画像」になっている、ということが。
ちょうど画像処理ソフトが、「W」を「W」という文字であると認識できないのと同じように、普通の日本人にとって、ロゴなどに使われている英語は、デザインとか画像という認識で扱われていて、意味を成さない。
よく日本で売られているTシャツや文房具に不可解な英語がプリントされていて、日本に来る外国人の間でジョークのネタになっていますよね?
あれも、そういう現象があるということはわかっていたものの、何で日本人はそういうおかしな英語がプリントされた商品を平気で使っているんだろう??と常日頃思っていたのですが、ようやく腑に落ちました。
もともと始めから文字として認識されていないので、結局のところ、どうでもいい。
意味を理解しようと努力する対象ではなく、正方形や円形と同じ「画像」扱いなのだ、と実感しました。
ずっと日本で暮らしている方は、そんなの当たり前じゃん、と思うかもしれませんが、日本を長く離れていた当時の私にとっては、英語が言語として扱われていない、ということが、ものすごい衝撃だったのです。
そして、日本で生活を続けているうちに、英語とは無縁の生活を送っている、ごく普通の日本人の日常にとっては、英語が「異物」以外の何物でもない、ということがわかってきた(というか思い出した)のです。
思い返せば、はるか昔、自分が英語を学習し始めたときも、最初アルファベットは「画像」のように意味を成さないものでした。
その後、英語を勉強することによって意味がわかるようになってきたけれど、最初はやっぱり自分にとっても英語は「異物」であり、ゆっくりとかみくだきながら、のみこめるようになるまでに訓練が必要だったし、時間がかかったことも思い出しました。
それに自分だって、韓国とか、言葉のわからない国へ行って何か買っても、現地の言葉でロゴに何か書いてあっても、読めないから完全無視しているしなぁ。
英語の好きな人とか、英語圏と関係のある人に囲まれて暮らしている期間が長くなると、みんな自分と同じぐらいは英語がわかって当然とか、英語に興味があるだろう/興味を持つべきだと錯覚し始めて、全体が見えなくなっていたことに気付かされました。
日本の人口の比率的には、英語の好きな人なんて非常に小さいものです。
大部分の人は、英語とはまったく無縁の生活を送っている。
「異物」を押しつけられて困惑している人たちもたくさんいます。
そして、そういう人たちこそが、一番翻訳を必要としているのではないかと思うのです。
田舎暮らしをして、地元の商工会議所で開催されるパソコン教室などに参加して、「ええとお~・・・あどいん?何それ?」なんて、「異物」を取り込もうと悪戦苦闘しているおじいちゃんを間近に見てしまうと、
アメリカの会社で「えー、とりあえずカタカナにしておきましょうか」なんて言っているのを聞くと、「この人たちは、海の向こうの日本のエンドユーザーが、どれほどその安易なカタカナの連発に四苦八苦しているのか、現場の事情を全然わかっていない!」と頭に血が上ってくる。
製造側と使用者側の意識に相当のギャップがあることを痛感してしまいます。
本当にもどかしい限りです。
・・・とは言え、間を取り持つ立場にある翻訳者であっても、自分一人でできることは本当に限られているのが辛いところ(泣)。
多くの言語を一斉に翻訳するような製品の場合、他の言語と足並みを揃えるために、日本語として不自然な表現を使わなければならない状況があることも、重々承知しています。
・・・でも、そういう「声なき」一般ユーザーが、読者の中にはたくさんいる。
そして、そういう方たちに翻訳を読んでいただくのだ、ということだけは、翻訳者として忘れてはいけない、と思っています。
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こんにちは、か~ちゃんさんのブログの読者さんリストから来ました。
「英語から離れた生活をしている一般的な日本人にとってはアルファベットは画像」という記述を拝見して思わずコメントさせていただいております。
私の場合、漢字含む日本語の読めない夫が、漢字の看板に全然気付かないことに衝撃を受けた経験がありまして、ハンナさんとは逆の経験になりますが、彼にとって漢字やひらがなは「画像」になっちゃってるんだなあ~、と納得しました。読めなくても「漢字」ってことは意識できるんじゃないの?と思ってましたが、理解できない人間にとっては画像も同様なんですね(´▽`;)
おもしろい記事をありがとうございました!
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>チョココさん、コメントありがとうございます。そうなんですよ~どうも頭の別の場所を使って認識しているんじゃないかとしか思えないのです。
外国の方にとっては漢字やひらがなも画像なんでしょうね。たまたま今日、「悪」と首にタトゥーを入れたサーバーさんをレストランで見かけました。この人、意味わかっているのかなあと思いましたよ。
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偶然たどり着きました。素敵なブログですね。コメントしていきます^^
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記事見ました!他のも読んでみますね~♪こうやってコメントできたのも何かの縁だと思っていま~す(笑)よろしくお願いしま~す。まだまだ初心者ですが、これからもよろしくお願いします(≧∇≦)