アメリカに来てまもない頃、「お手洗いに行きたいんですけど・・・」という意味で、「I want to go to bathroom」と言って、怪訝な顔をされたことがあった。
「何しに行くの?」とか、「忘れ物でもしたの?」というような反応なのだ。
なんでそんなこと聞くの?何しに行くかぐらい、わかってるでしょ?と思ったものだ。
あとでネイティブの人がこういうシチュエーションでどういう言い方をしているか注意していると、「お手洗いに行かなければ」と言っている。「I have to go to bathroom」とか、もっとせっぱつまったときは、「I’ve GOT to go to the bathroom」とか言っているのだ。
「なんでhave toなの?」と聞くと、
「だってこういうことは生理反応として催すものであって、行きたいとか行きたくないとか考えて決めることじゃないでしょ。自由意思は関係ない」というのだ。
確かにこちらの人って、遊びに行っても一方的に飲み物など出して来たりせずに、「何か飲みたいですか?うちにあるのは、お茶、水、コーラ」とか、「何を食べたいですか?」とか、選択肢を用意して、相手に選ばせてあげたいときに、「~したい」という言い方を使っているなあ。
相手の自由意思を尊重する、わがままを聞いてあげる、ということを本当に大切にしている文化なのだ。
・・・まあ、その観点からすれば、確かに「お手洗い」と「行きたい」というのは相いれないな。
そのせいか、「用を足す」以外に、トイレがきれいだったとか、そういう話題が出ることもほとんどない。
・・・アメリカでウォッシュレットが流行らない理由には、そんな背景もあるのかしら??と思ってしまった。