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サイエンスとしての翻訳、アートとしての翻訳

先月、「翻訳者とシェフとの共通点」というブログを書いたときに、英語で「This is a pen」という文が1つあっても、日本語の場合は「これはペンだ」「これはペンです」「こちらがペンでございます」など、色々な訳出の仕方がある、というようなことを書いたところ、お友達の翻訳者の方が「それが翻訳のむずかしさ、ScienceではなくArtだと言える部分ですよね」とコメントしてくださって、さらにそこから膨らませて「翻訳、かくも奥の深い仕事・・・」というブログ記事を書いてくださいました。
海外の会社(もしくは日本語を解さない取引先)とお取引をするときの特有の難しさについても書かれているので、ぜひご一読ください。
それ以来、翻訳のサイエンスとしての側面とアートとしての側面について考えているのですが・・・。
翻訳には、「情報・意味を正確に伝える」という側面(サイエンス)と、「その情報にまつわる、付随情報やニュアンスも翻訳して、意図する反応を引き出す」という側面(アート)があると思います。
簡単な例を挙げると、私はよくアンケート案件の翻訳の仕事を請けるのですが、アンケートって、回答者にいろいろとああしてください、こうしてください、とお願いをしなければいけません。
日本語では何かをお客様にお願いする場合、「XXさせていただきます」とか「〇〇していただけますか」など、へりくだった表現を使うことが多いと思います。
ですが英語では、お願いをするときに日本ほどへりくだる習慣がないので、英語の原文のとおりに日本語に訳すと、ぶっきらぼうで失礼な印象になってしまうことがあります。
そもそも「よろしくお願いします」という表現自体、直接的な英語表現が存在しませんから、日本だったら「よろしく」と言って頭を下げる状況なのだろうな、などと、前後関係から判断しながら、そういうニュアンスを翻訳にも盛り込んだりします。
お客様に何かお願いをしなければならないときは、言い回しにも細心の注意が求められると思うからです。
こういうところに気を配るか配らないかで、翻訳の仕上がりに差が出てくる、と私は考えます。
料理にたとえるなら、機械が作る回転ずしと、板前が握る寿司の違いというのは、そういうところに出てくるんじゃないか・・・と思うわけです(←あっ、また料理のたとえ(-_-;))。
それがアートとしての翻訳であり、職人としての腕の見せどころではないかと。
ですが、海外の会社と仕事をしていると、そのような職人としての「こだわり」みたいなものが理解されることは、残念ながら少ないのが実情です。
まあ、日本語がわからない人がプロジェクトマネージャーであったり責任者であることが多く、自分で翻訳の出来を評価できないわけですから、無理もないと言えば無理もありませんが・・・。
海外の会社では、そう言った職人的なこだわりはむしろ歓迎されず、いかに回転ずしの機械を上手に操作できるか、いかに他と足並みの揃った、均一な寿司が握れるか、といったことが重要視されているように感じます。
そのような世界では、「よろしく」なんて、英語で書かれていないのだから、そのように訳す必要はない、と判断されます。
「情報が正確に伝わっているんだから、いいじゃないか」と言われれば、それはそうですし、私も駆け出しの頃は、「下手な意訳をされるよりは、直訳調の方がいい」と言われて、そのようにしていた時期もあるので、わからなくもありません。
でも、職人を自認する私としては、この風潮が強すぎるのは寂しいところ。
やっぱり、ちょっとしたこだわりをきかせることで、読みやすく質の高い仕上がりになると思うし、それによってお客様の満足度も高まる、と思いたいのですが・・・。
あのスティーブ・ジョブズだって、アートとテクノロジーを融合させたからこそ、世界的なヒット商品が生み出せたわけですし、やはり翻訳にもサイエンスとアートの絶妙なバランスが大切だ、と思うのは、私だけでしょうかねぇ。

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