翻訳はネットさえあればどこでもできるので、日本の拠点は実家のある北海道に構えた。
ダンナが山のある風景を好んだのと、田舎とは言っても、あまり僻地すぎず、病院や銀行、買い物などの用事が一通り足せて、地図を読むのが苦手な私でも迷わずに車でどこにでも行ける大きさの町を、と考えた結果、「北海道のへそ」と言われる富良野市に居を構えることにした。
テレビドラマ「北の国から」で一世を風靡した、田舎の代名詞のような街。
ラベンダーが美しく、寒暖の差が激しく、メロンとアスパラが美味しいところだ。
脚本家・倉本聡氏が運営していた「富良野塾」など、芸術家肌の人や本州から来た脱サラ風の人たちもいるが、大部分は農業を営む人々と、あとは地方公務員の多い土地柄。
そんなところで暮していた私たちは、非常に異色の存在だったようだ。
アメリカ人のダンナと一緒なので、最初は英会話教室でも開くのかと期待されていたようだが、生徒を募集する様子もなく、クリスマスにサンタの格好をして子供にお菓子を配るようなサービス精神もない。
しかも、アメリカやイギリスの会社と取引をしている私たちは、日本時間の夜10時がニューヨーク時間の朝9時になるので、夜10時ぐらいになると俄然忙しくなる。
忙しいときは、朝の2時、3時ぐらいまで、こうこうと電気がついていることもしばしばで、翌日になるとトレーナーとスウェットパンツという冴えない格好で、寝ぼけた顔をしてゴミを出しに行く。仕事に出かける様子もないし、締切に追われているときは、家から何日も出てこないこともある。
翻訳をしていることは言ったつもりだけれど、富良野市で翻訳業をしているのはうちだけだったし、翻訳事務所の看板を掲げていたわけでもないので、わけのわからない不思議な人たちだと思われていたようである。
ある日、ご近所さんと話をしていて、「スポーツの衛星中継を見ていて夜更かしをしてしまった」という方がいたので、「うちはいつも時差の関係で、それぐらいまで起きているんですよ」と言ったところ、ご主人が農協で働いていたという年配の奥さんが、「そうなんだってね、蘭野さんのところは、夜のお仕事なんだってね、大変だね」というではないか・・・
悪気のある様子は感じられなかったので、おそらく、①夜に電気がついている、②昼間の様子が冴えないので寝ているのかもしれない、③家の中で何かやっているようで得体が知れないが、時間が不規則で健康的ではなさそうだ、などの条件を総合判断して、行き着いた結論が「夜のお仕事」だったのだろう。
まあ、間違いではない部分もあるんですが・・・。
でも確かに、ネットの存在も知らない農家のおばさんには、異次元の世界と思われても仕方ないよなあと思う。
少なくとも、家に引きこもって爆弾でも作っているんじゃ・・・なんて疑われなかっただけでも、ありがたいと思わなければいけないのかなあ。