「花子とアン」を翻訳者が見て思ったこと

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先週から始まったNHK連続テレビ小説「花子とアン」を毎日欠かさず見ている。
私にとって、村岡花子さんは翻訳の大先輩と言える。
田舎の出身であること、ミッション系の女子校に行ったこと、クリスチャンであること、それに名前が似てるので、ついつい自分と重ね合わせてしまう。
つくづく思うのだが、昔の児童文学の翻訳家は本当に翻訳が上手かった。
「クマのプーさん」や「ピーターラビット」を訳した石井桃子さん。
「指輪物語」や「ナルニア国物語」を翻訳した瀬田貞二さん。
「メアリーポピンズ」シリーズを訳した林容吉さん。
村岡花子さんの「赤毛のアン」シリーズも、子供の頃、ずいぶん読んだ。
とにかく、原文と比べても物語の世界観がまったく損なわれていない。
それどころか、日本語で韻を踏ませてさらに良いものにしてみたり(原題が「グリーンゲイブルズのアン」を「赤毛のアン」とするなど)、意訳のセンスも絶妙だ。
日本語で読んでも、全然「訳文調」ではなく、すぐに物語の世界に引き込まれる。
心底、すごいなあと思う。
だって、考えてもみてください。
インターネットなんてない時代だ。
調べ物をするのも、今とは比べ物にならないほど大変だったに違いない。
辞書や書物を調べ、ネイティブスピーカーに質問し、原作の著者の意図を汲み取ろうと心を尽くしたことだろう。
このような先輩たちに共通しているのは、ご自身も文学作品などを執筆しておられる方が多いことだ。
きっと自らも物語の世界にどっぷりと入り込み、著者が日本人として生まれ変わったら、このように表現していたのではないか、というような観点から、日本語で「語り直し」をするように、訳文を紡いでいったのではないか。
作品に対する並々ならぬ愛情、思い入れが感じられる。
このように翻訳者が手塩にかけて「日本語に生まれ変わらせた」かのような翻訳作品は、それ自体が珠玉の名作として完成度が非常に高い。
そのせいか、あとで手を加えたり、再翻訳をしたりといったことも少ないように思う。
私も翻訳者のはしくれである以上、夢は大きく、そのような域を目指したいところだ。
・・・今はインターネットもできて、便利になった反面、現代の翻訳者は締切に追われることも多くなった。
ついつい目の前の仕事を片付けることで精いっぱいになってしまいがちだ。
情報が入ってきやすくなったとは言え、作業環境が改善されたとは言い難い。
そもそも「[OK]をクリックします」なんて文章に思い入れを持つなんて無理な話だ。
機械翻訳もどんどん取り入れられて、人間の手が入る場所がどんどん少なくなっている。
それはまぎれもない事実だ。
しかし、今一度、限られたリソースの中で真摯に作品に向き合い、足りない部分を想像力と愛情で補いながら、不朽の名作を遺していった先輩の姿をあらためて想うとき、やはり機械翻訳では伝えきれない、言葉を越えた何かが、感動を伝え、後の世代を動かして行ったのではないかと思う。
そしてその「何か」は、人間が真剣に仕事に取り組むことがなければ生まれてこない。
翻訳の仕事に携わる者の原点として、そういう姿勢を忘れてはいけないと思う。

1件のコメント

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    記事読ませて頂きました~♪ 素敵なブログですね♪ 他の記事も読みまーす(^^)私はちょっと変わった記事を書いてます♪良かったら見に来てください★

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